大変遅くなりましたが、おめでとうございます。
さてご無沙汰しておりますので、年賀状のことを・・・。
明日はお年玉年賀ハガキの発表日ですが(宝くじがいつものようにはずれてしまったので結構期待してしまいます)、年賀状の由来をご存知でしょうか?
年賀状はもともと、江戸時代、武士が年始回りに城下町にある狭い武家屋敷を回る時に、年賀名刺を渡していたことが始まりです。それが、時代を経て年賀状に変わりました。(実は今日の新聞の受け売り)
年の暮れ、年賀状を書いていると、郵政改革で1番にやって欲しいことは年賀状の廃止だと息巻いておりました。ところが年が明け、年賀状を頂くとうれしいものです。
○さんの話を聞くことが、毎日取っても楽しみです。明るい職場にしてくださりありがとうございます。
というコメントをいただきました。これを何度も読みながら、何と造詣の深い方だと感心しました。私を見抜いておられる。こんな告白ができる年賀状の伝統は永久に残すべきだと思いました。
1等が当ると、もっと残すべきだと思うでしょう。
昨日、感動系の「いま、会いにいきます」を見ました。
というか、途中で寝てしまいました。
朝から「東京タワー」を読んでいました。もちろん江國香織ではなく、ベストセラーのリリーフランキーです。
近頃、本屋では山積みになっており、かみさんからも読むように薦められていました。
最近、感動感動でうんざりしているし、帯にもそのような広告が・・・。
途中で止まっていましたが、昨日感動できなかったのでまた読み始めました。
ここからはりりーさんと呼ばせていただきます。
参りました。
涙が止まらなくなり、鼻水が噴出し、今でも本のことを思い出すと涙が出てきそうです。
たいへんおこがましいのですが、私と境遇が似ている。
年齢も東京での過ごし方も・・・。今の母親の病気も・・・。本に出てくる病院の先生や看護師さんの態度まで似ている。
私とりりーさんが似ていないのは、才能と母親と父親です。
「つるかめ食堂」が出てきたところから完全にはまってしまいました。
私は、この食堂に何度通ったことか、大盛りの天丼を何度食べたことか・・・。
東京を離れる時、中央線に乗っていて、急に新宿で降りました。この食堂で天丼を食べるためです。
もしかしたらリリーさんとニアミスしたかもしれない。
私は東京で堕落した生活を送っているころ、スーツを着て会社に行く人間がとても偉大に見えました。朝の満員電車に乗りたくてたまりませんでした。
友達から上司や会社の悪口を聞くと、お前は幸せじゃねえかといつも思い、話を変えていました。
ちっぽけなアパートに訪れるのは、家賃やローンの取立てぐらいでした。見つからないように、ふとんにくるまっていました。(ここは正にりりーさんと同じでした。)
食うことに困ると、道端に落ちているコーラの空き瓶を小銭に換えて、「金を送ってくれ!」と母に電話していました。
「夜、電話が鳴るとお前じゃないかと思ってドキドキする。」その当時、母はよくそう言っていました。
私も私の母も、りりーさんやりりーさんのオカンのように偉大ではありませんが、親を大切にしたいと感じさせてくれました。そうは言うものの近くにいると鬱陶しいのですが・・・。
東京タワーに登りたくなりました。
ヤマダ電機にクリスマスプレゼントを買いに行きました。
すると、ものすごい車、駐車するところを探してぐるぐる。
1番店まで遠いであろうと考えられるところにようやくスペースを見つけ、
中に入ると、また、人人人。
ゲームコーナーに行くと、子どもと親、子どもとじいちゃんばあちゃんの嵐です。
ゲームソフトなどほとんど空です。
任天堂のゲーム機をもって、レジまで30mぐらいのところに並びました。
私の前のおこちゃまたちはゲームソフトを1人3つぐらい持っています。
不景気は終わったのでしょうか。
私も含めてレジまで並んでいる人間は平和日本の象徴?
しかし、任天堂もソニーもヤマダ電機ももうかるだろうなあ。